本当に欲しいもの

あなたは今、何か欲しいものがおありだろうか?新しい車が欲しい?しかし500万円もするらしいぞ、その車。ではその車が欲しい時、「私は」一体どうするだろうか?

  • 500万円もするんじゃ僕の月々の収入から考えて、欲しいけど買うことは難しい。ローンでその車を買ったとしても、ガソリン代や維持費を考えるととても現実的じゃない。そもそも僕の友達で500万円もする車に乗っている人なんかいないし。。。欲しいのはやまやまだけど、ひとまずあきらめるしかないか。また、いつか収入でも増えたときに考えよう。- (理性的な私)
  • 500万円か。何とかバイトでもして月々の収入を5万円くらい増やせないだろうか? どっかの懸賞でこの車が当たるとかいう企画はやってないかな? 親父は金貸してくれるかな? 500万っていってるけど、450万くらいに値引きしてくれるかな? 車好きの先輩に相談してみようかな? テレビの企画かなんかで、”500万円の車が欲しい○○の奮闘記”なんてやってくれないかな? - (駄々っ子な私)

(理性的な私)は物事を客観的に判断し、類似の例を引き合いに出し、もっとも現実的な結論に達している。一方(駄々っ子な私)はまるで子供のように駄々をこねている感じだ。

しかしここで重要なことは、(理性的な私)は本当にその車が欲しいわけではないということだ。なぜなら「現実的な結論」と「本当に欲しいもの」に何らの関係がないからだ。もし「本当に欲しい」なら(駄々っ子な私)でなければならない。「本当に欲しい」とはつまりそういうことであって、実現できそうだとか、理性的だとか、類似の先例があるとかいうのとは、全く正反対のものなのだ。もっと練炭のように熱くて、しかも長持ちして、それでいて静かなるものからくる欲求に支えられていなければならない。

「求めよ、さらば与えられん」。イエスは言う、「子供がパンを求めた時に、石を与える親がいるだろうか。まして、全知全能にして、みなの創造主である神が、あなたの求めたものを、与えないということがあるでしょうか?」と。

と、そんなことを考えていたら上の言葉が頭に浮かんだ。では、「本当に欲しいもの」を手に入れるために、どうすればいいのだろうか?

意外に聞こえるかもしれないが、特に何もしなくていいのだ。その事が「本当に欲しい」ものでありさえすればいい。「本当に欲しい」なら何かをせずにはいられないはずだ。あとはおのずと道は開ける。

ポパイもそう思っているに違いない。成功する幸せのヒントやきっかけを語る夫婦の会話 : 2005年06月