不立文字

だから、言葉なんて、役に立ちはしないんだ。

伝わるなんて、信じてるとひどい目にあうよ。



でも、まれに伝わることもあるんだ、これが。

奇跡と呼ぶに値する現象さ。



伝わりはしないけど、他にいかなる手段もありはしない。

だから、言葉で伝えようとする訳さ。



伝わればラッキー。

伝わらなくても、普通ってこと。



どうよ?

伝わってるならコメント書いて?

中国留学で、道元はこうした痛棒を何度も食らった。
初めて中国についたとき、日本産のしいたけを買いに来た食事係の老僧(典座)に、道元は 
「いかならんか、これ文字」と問うている。それに対し、老典座は、
「一二三四五」と答えた。
文字など一二三四五の記号に過ぎない。頭を満たしている文字知識は、ただそれだけのものに過ぎない。
ここで要求されているのは、真理を”外”のものとしてしゃべったり、知識の目録を増やすことなどではなく、
真理を生き、真理を行じることだと、留学を通じて道元は悟った。
(「禅の本」より)