塞翁が馬

「塞翁が馬」、あっ、知ってるよ、その話。
そう、確かに知っていた。しかし、理解していたとは限らない。

我が師匠も言っているように、知ってることと分かることは全く別だ。
自分でやってみてはじめて「わかる」。自分の頭で考えてはじめて「わかる」。
まちがっても人の話を聞いて「わかる」なんてことはないのだ。
人の話はきっかけに過ぎない。

さらに「わかった」と自分では思っていたことが、実は「わかっていなかった」というのもある。
別の言い方をすれば、「あるレベルでわかった」が「別のレベル」ではまだ「わかっていない」。

「塞翁が馬」はまさに、私にとってその手の話だった。あなたも、もう一度読んでみる?

昔、国境のとりで(塞)の近くに老人(翁)が住んでいました。
ある日、その老人の飼っていた馬が一頭、逃げ出してしまいました。

周りの人が、「残念ですね」となぐさめると、老人は、
「いや、このことが福をもたらすかもしれない」と言いました。

やがて、逃げた馬は帰ってきました。
しかも、別の立派な名馬を連れてきたのです。

周りの人が、「良かったですね」と祝いに行くと、老人は、
「いや、このことが、禍(わざわい)になるかもしれない」と言いました。

そしてある日、老人の息子が、その立派な名馬に乗っていて落馬をし、骨
を折ってしまいました。

周りの人が、「災難でしたね。」となぐさめると、老人は、
「いや、このことが、福をもたらすかもしれない」と言いました。

やがて戦争が起こり、若者達はみんな兵隊に連れて行かれ、死んでしまい
ました。
しかし老人の息子は、骨折のおかげで兵役に出ることはなく、無事でした。