階段
近づく年末を感じるとき
時間が有限であることを思い出す。
心の奥では知っていたはずなのに
時々気づかない振りをしたりする。
でも、毎年年末はやってきて、
遠くなく迎える自分の死に気づく。
時間が限られていることを恨みはしない。
むしろ、それは喜ばしいことでさえある。
そして一年の月日が流れ、
また一段、にこやかに、
あの世への階段を上る。
『門松(かどまつ)は冥土(めいど)の旅の一里塚、めで度くもありめで度くも無し』と、これはまことに名高い歌で。その意味(わけ)は、『お正月になると、何處でも門松を立てゝ、めで度(たい)めで度と云つて居るが、あれはまことに馬鹿げた話。人間はお正月の來る度に、一つ宛(づつ)年を取つて、段々死期(しにめ)に近くなつて行(ゆ)くのだから、丁度(ちやうど)門松は、冥土へ行く道中の、一里塚と同し事だ。それを考へると、お正月位おめで度くないものは無い。』と、かう云ふ事を云つたのですが、全體この歌は、何(ど)う云ふ人が詠(よ)んだかと云ふと、是は今から五百年程も前に、大徳寺(だいとくじ)の一休(いつきう)禪師(ぜんじ)と云ふ、豪(えら)い坊さんが詠(よ)んだのでございます。
(「一休和尚」巌谷小波より)