それは言葉でもなく

行動様式でもなく

一体何物なのか。



目にも見えず

耳にも聴こえず

しかしそこにある。



確かにあるそれを

人は仏と呼ぶのかもしれない。

「殊勝げに行いすましたり、柔和なのがいいのだと勘違いしたり、沈香もたかず屁もこかず、腐れ水のように沈み入ったのが禅の境地だとか、悟りの境地だなどとつまらぬことを鼻にかけるものが多いが、とんでもない気狂いざたである。」
(鈴木正三(1579-1655))